2014/04/03

若桜鬼ヶ城跡

この春の18切符の一発目は因幡の若桜鬼ヶ城へ。
標高452メートル(比高252メートル)の鶴尾山山頂部から尾根部分に曲輪群を設けた連郭式山城で、鳥取城、鹿野城とともに因幡三名城に数えられる。

若桜鬼ヶ城の正確な築条時期は不明だが、鎌倉時代の初期に地頭としてこの地に来た矢部暉種が築城したと考えられている。当初は東側を流れる八東川の西岸の小高い丘に居館を構えていた程度であったが、南北朝騒乱期に鶴尾山の尾根上に詰城として拡張した。
戦国時代は山名氏に属すが、尼子氏再興を目指す山中鹿之介により落城し、山名氏は滅亡した。その後、毛利氏が奪ったあとまた秀吉が奪い、鳥取城攻めの拠点となった。現在の石垣等の山頂部の遺構は、この時に城主となった木下重堅時代のものと考えられる。関ヶ原の戦い後は、山崎家盛を経て、鳥取城主・池田光政の領土となり、一国一城令により廃城となった。



(1) 若桜鬼ヶ城跡遠景
若桜駅近くから見た若桜鬼ヶ城跡





(2) わかさ生涯学習情報館
若桜駅から駅前の案内に従って城跡に行くと車道を進むことになり、駅とは反対側の南の搦手まで回りこんでのかなり遠回りになった。
帰りは大手門跡から降りると、わかさ生涯学習情報館の裏手に出たので、こちらから登ったことを想定してBLOGを記述する。

(3) 登城口
わかさ生涯学習情報館の裏手にある登城口。大手口に繋がっているので、ここからの登城路が大手道?
(途中で分離して東側へ降りるルートもあったので、そちらが大手道かも知れない)


(4) 登城路
この登城路は道幅も広く勾配もゆるやかなので、やっぱりこちらが大手道?

(5) 見晴台
登城口から登城路を登ってすぐに、右手に見晴台があった。

(6) 見晴台
登城路側の階段は崩れていたが、反対側から見晴台に上がれる。

(7) 見晴台から北東側の眺望
城下および登城路を監視する絶好のポジションなので、当時も櫓か見晴台があったかも。

(8) 曲輪跡?
さらに先に進むと、かなりの広さの平坦地があるがここも曲輪跡なのだろうか。

(9) 曲輪跡
四合目あたり、登城路の右手に曲輪跡が何段も続く。

(10) 登城路
五合目を過ぎた辺りから勾配がきつくなってくる。

(11) 三の丸石垣
九合目まで登ると三の丸石垣が見えてくる。

(12) 大手門跡
三の丸跡の東側に大手門跡があり、ここから三の丸跡に入る。
大手口は枡形虎口となっている。

(13) 三の丸跡

(14) 三の丸跡から北側の眺望

(15) 二の丸跡
三の丸跡の南側にあり、さらに南に本丸跡があり、本丸は石垣で固められている。

(16) 本丸石垣東側
本丸石垣の東側にも通路があったが、現在は危険なので通行禁止だった。

(17) 本丸跡

(18) 天守台
本丸跡の南側には天守台がある。

(19) 天守台から南東方向の眺望
城跡の東西方向はかなりの傾斜の斜面のため、素晴らしい眺望が広がる。

(20) ホウツキ段
天守台より南側にあるホウツキ段を見る

(21) 搦手門跡
二の丸跡まで戻り、そこから西に行くと搦手門跡がある。

(22) 搦手道
搦手門から出て本丸の西側を通って南に進む。

(23) 馬場跡
ホウツキ段の南側まで出ると、平坦地が広がり、ここは馬場だった。

(24) ホウツキ段南側石垣
馬場跡から北に振り返ると、ホウツキ段南側の石垣が見える。

(25) 駐車道
馬場跡から南側すぐのところに駐車場があり、城跡中心部直前まで車で来れる。

(26) 車道の積雪
この日は汗ばむ陽気だったが、この部分だけかなり雪が残っていた。
実際にはこの車道に沿って城跡まで行ったので、この雪を見たときは城跡も雪が残っていてたどり着けるのかと不安になった。

(27) 山頂部詳細図




[若桜鬼ヶ城跡マップ]
ただし、この場所のGoogleマップに等高線が無いので位置の特定が難しく、かなり適当。

より大きな地図で 若桜鬼ヶ城跡 を表示

0 件のコメント:

コメントを投稿