2014/04/17

利神城跡

平福陣屋の北東に位置する利神城は、標高373mの利神山山上にある連郭式の山城。
平福は朝霧の名所であり、江戸時代初期にあった天守が霧の上に浮かんだ偉容から雲突城とも呼ばれた。

利神城は南北朝時代に赤松氏一族の別所敦範によって築城された。
戦国時代に入ると、織田軍に属していた尼子勝久家臣・山中鹿之介により攻め落とされるが、毛利氏により上月城が落とされれると、毛利方の宇喜多直家の支配となる。
関ヶ原後の播磨には池田輝政が入封し、利神城は甥の由之に与えられた。由之は三重の天守を構え、曲輪を全て石垣で築くなど、城を大改修した。その後、輝政の6男・輝興が城主となり平福藩が立藩するが、輝興が赤穂藩を継ぐと平福藩は廃藩、利神城は廃城となった。

現在も石垣等は残っているが、史跡の指定を受けておらず、かなりの部分で崩落している。そのため、危険ということで入山禁止らしい。



①霧の利神城跡遠景
この日、平福陣屋跡へ立ち寄るために智頭急行・平福駅で下車したときには朝霧が発生しており、雲突城と言われるとおり、霧の上に山城跡が浮かんでいた。





[利神城跡マップ]


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