2014/04/20

岩村城跡

この春の18切符2つ目は岩村城跡へ。
岩村城は、岐阜県恵那市岩村町にある梯郭式山城で、付近は霧が多く発生するため、別名・霧ヶ城とも呼ばれる。また標高721mは日本で一番高い山城で、備中松山城・高取城とともに日本三大山城と呼ばれている。

この地は鎌倉時代より岩村遠山氏が治めていおり、当時は平坦部に築かれた砦あるいは城館的なものであった。それが戦国時代末期に本格的な山城となり、遠山氏最後の城主・景任は織田方について武田方の秋山信友の攻撃を守りぬいた。遠山景任が没すると、信長の五男を養子とし、信長の叔母にあたる景任夫人が女城主として差配を振るった。しかし再度、秋山信友が攻めてくると、景任夫人は信友の妻となることを条件に開城、養子の信長の五男は甲府に送られた。これに激怒した信長は、長篠の戦いで武田勢が弱体化した後に岩村城を奪還し、信友夫妻らを逆さ磔で処刑した。
その後に城主となった河尻秀隆が改修し、さらに本能寺の変後にこの地を治めた森氏の家老・各務元正により、現在の城郭が完成した。江戸時代も岩村藩の居城として生き残り、維新後の廃城令で城は解体され石垣のみとなった。



(1) 岩村城跡遠景
城跡の北側にある城下町から岩村城跡を臨む。この辺りは重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、城下町の雰囲気がよく残っている。




(2) 復元藩主邸
維新後の廃城令でも解体されなかったが、明治時代に全焼した。
平成になってから表御門・平重門・太鼓櫓などが復元された。

(3) 復元表御門と復元太鼓櫓
復元された表御門と太鼓櫓。

(4) 藩主低跡
表御門・平重門・太鼓櫓などは復元されたが、その内側は岩村町歴史資料館と駐車場となっている。

(5) 藤坂
藩主邸から大手道を進むと、藤坂と呼ばれる坂道を登る。
加藤景廉の妻・重の井が輿入れの際に、紀州藤城村から持参した種から育ったと伝えられるフジの大木があったことが由来という。

(6) 初門跡
藤坂を登った先にある最初の関門。有事の際には臨時の門を構えて通行を遮断するようになっていた。

(7) 初門前の曲がり角
ほぼ直線的に伸びる藤阪はこの部分だけが、行く手を遮るようにU字型に大きく曲げられている。

(8) 一の門跡
大手道を先に進むと、二層の櫓門であった一の門があった。大手一の門とも呼ばれ、右側の石垣上は土塀で厳重に固められていた。

(9) 多聞櫓跡
一の門の左側には多門櫓が構えられていた。

(10) 登城路
一の門跡から先に進むと、右側に石垣が見える。

(11) 土岐門跡
岩村城第二の門で、土岐氏を破ってその城門を奪い移築したという伝承からこの名がついた。

(12) 土岐門内側
土岐門の内側は馬出状の曲輪となっている。

(13) 棟門跡
土岐門から中に入り先に進むと左側に棟門跡がある。

(14) 三重櫓跡
棟門に入らず土岐門からの登城路の正面には三重櫓があった。岩村城唯一の三層の櫓で、天守に相当した。

(15) 追手門跡
棟門から中に入ると枡形虎口となり、そのもう一方には櫓門である追手門があった。その右側は三重櫓に連結していた。

(16) 五郎佐屋敷跡
追手門の内側は登城路の両側に屋敷が並んでいた。

(17) 竜神の井(復元)
岩村城のうち最大規模の井戸。

(18) 霧ヶ井
岩村城の別名・霧ヶ城の由来となった井戸。敵が攻めてきたとき、秘蔵の蛇骨をこの井戸に投じると、たちまち霧がわいて城を守ったという。

(19) 八幡宮跡がある曲輪
登城路の左側の曲輪には八幡宮があった。

(20) 八幡宮跡
岩村城創業者である加藤景兼を祀る神社で、明治時代に山麓に移転した。

(21) 二の丸跡
登城路の右手には二の丸の斜面があり、少し石垣も見える。
Googleマップでは登城路は八幡宮跡経由となっているが、普通に直線する方が登城路。

(22) 俄道門跡
往時には東側の大円寺部落へ出る道があり、そこへの門跡。

(23) 菱櫓台
山の地形に合わせて菱型に石垣を積み、その上の建物も菱型であったので、菱櫓と呼ばれた。

(23) 二の丸櫓門
菱櫓台を右手に見て先を進むと、正面に見事な石垣が見えてくる。その手前には二の丸へ入る二の丸櫓門があった。

(24) 六段壁
本丸北東面に雛壇状に六段の見事な石垣が築かれている。最初は最上部のみの高石垣であったが、崩落を防ぐために前面に補強の石垣を積むことを繰り返した結果、現在の姿となった。

(25) 二重櫓台
六段壁の東側には、水晶山方面の監視の約と持つ二重櫓が築かれていた。

(26) 東曲輪跡
六段壁の西側から、本丸の東側にある一段低い東曲輪に入る。本丸の外枡形的機能を持っていた。

(27) 長局埋門跡
両側の石垣に多門櫓を乗せ、石垣の間に門を設けた櫓門。ここから本丸と東曲輪との間にある長局と呼ばれる曲輪に入る。

(28) 東口門跡
長局から本丸に入る門で、本丸の正門。

(29) 本丸跡
本丸には二重櫓2棟、多門櫓2棟が石垣上に構えれていたが、内部には施設は無く広場となっていた。

(30) 本丸跡から北東側の眺望
この季節、遠くの山上はまだ冠雪しており、正に絶景が広がる。

(31) 本丸跡から西側の出丸跡を見る

(32) 昇竜の井戸
本丸内にも井戸があった。

(33) 北側長局
本丸の東と北には一段低い長局と呼ばれる細長い曲輪が付属するが、その北側の長局。

(33) 本丸埋門跡
本丸北側の長局から二の丸へ出る門。両側と奥の石垣の上にかぶさるように櫓が乗せられており、門の右側には納戸櫓(二重櫓)が建てられていた。

(34) 二の丸跡
本丸の北側にある二の丸跡。写真のように全く整備されていない。

(35) 本丸北側石垣
本丸埋門跡から出て右に進むと、二の丸櫓門跡から六段壁に戻る。

(37) 不明門跡
本丸埋門跡から出て右に進むと不明門があり、そこから本丸西側の出丸に行く。

(38) 移築不明門
現在は、山麓の妙法寺の山門に移築されている。

(39) 出丸跡
本丸の南西の防衛を担う重要な曲輪で、2棟の二重櫓・3棟の多門櫓で厳重に固められていた。

(40) 出丸跡から本丸石垣を見る

(41) 南曲輪跡
本丸の南の尾根に沿って曲輪跡があり、戦国期の状態のまま維持されていたと見られる。なお、南曲輪は仮称とのこと。

(42) 堀切
南曲輪跡の南側は堀切で区切られている。

(43) さらに南側の曲輪跡
堀切によって区切られた曲輪跡。

(44) さらに南側の堀切
堀切によって区切られた曲輪跡の南側には、さらに堀切がある。こちらの堀切の方が北側の堀切よりかなり深い。

(45) 本丸南側切岸
南曲輪から本丸の外周路に戻る。本丸の南側は石垣で固められておらず、土のままの切岸となっている。

(46) 東曲輪石垣
本丸の外周路を反時計周りに回ると、東曲輪の東側は石垣で固められている。


(47) 岩村城跡案内図







[岩村城跡マップ]


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